雑記の雑記

同じ「ワクチン」という名でもさ・・・

ボクネコあるじ
ボクネコあるじ
これ、ワクチンを開発する前から思ってて(周りにも言ってた)んだけけどさぁ・・
この理論は違うと思う

松本人志 政府のコロナ対応に怒り「インフルエンザの時もたくさんの人は亡くなっていた」「辻褄合わない」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

ボクネコあるじ
ボクネコあるじ
名前が同じ「ワクチン」でも定義が違うんだよ

コロナ前に打ってたインフルエンザワクチンは、いわば個人的なもの
数千円をはらってもインフルにかかりたくない(仕事がある、体が弱い等)人が打っていて
数千円がもったいないと思う人は打っていなかった。
いわば個人の損得で判断される個人的な接種ワクチン。

そういうもの(ワクチン)なわけ。

しかし、コロナのワクチンは「この地球から根絶させたい」もの(公的・社会目的)なわけ。

ダイヤモンドプリンセス号あたりの時期を思い出して、「ヤバイ伝染病が地球規模で拡がる恐れある。そうなってしまう」と思ってた頃を思い出して欲しい。そしてその時期にみんなが思ってたのが、「早くワクチンができないかな」「早くても1年半、2年くらいはかかるらしいよ」と言っていました。
その頃のみんなの思いも、WHOも「この疫病(コロナ)を根絶させたい」なわけです。
それがどの程度の破壊力をもつウィルスなのか、全人類にどれだけの被害をもたらすのか、この段階ではまだわかっていません。想像で 人類が半減するとか、実はたいしたことなく終わるとか議論はありましたが、「2週間後はニューヨーク」と言われるくらい、認識としては とにかく人類にとって何十万人 何百万人の犠牲、ひょっとしたら人類が半数になる可能性すら否定できない物で、その対策を立てねばならなかった。未来に出来るであろうコロナワクチンをどう使うか。もその一つです。

そして、その近い未来にできるであろうワクチンをどう使うか? 理想論だけで言えば、全国家が全国民に接種させないと「地球から根絶はできない」んです。(わかりやすく極論を言えば)日本アメリカフランス等が仮に100%接種して100%の効果があったとしても、アフリカの某国で実施しなければ意味がありません。数年経って免疫がなくなり、またその某国で若干変異もすれば、世界貿易を続けながらまた世界中で蔓延してしまいます。しかし世界には自由主義国もあれば共産国家もあり独裁国家も王国もあります。その独裁者ひとりが反ワクチンならその一声でその国は無理でしょう。また、仮に全世界の首脳が手を取り合って全国家が実施することになっても「打ちたくない個人」が大量に出る国があったら意味がなくなります。個人の権利を最優先する国家ならそうなります。逆に独裁者や一党独裁国家なら問答無用で実施しますからこの問題は少なくなります。もちろん極論で、現実には80%の国が80%の摂取率で80%の効果があればウィルスは拡がることが出来ず全滅するかもしれません。が、理想とすればその数字(80%か60%か)がわからない以上、全てができるだけ100%に向かうような方向で国家主導者は進めていくべきです。

その各国がその主義の範囲内で手を取り、個人の人権もある程度考慮した中での妥協点が、いまの接種状況です
これは 根絶を目的としない、個人の損得で打ってきたインフルエンザワクチンとは本質的に違います。

私個人の見解で言えば、あの状況下では「税金並みの強制力」を働かせても良かったのに。と思ってます。
もちろん高齢で多数の病気を持ってる老人に副作用のハードルは高すぎます。(私の母もそうでした)そこは税金にも各種の、各程度の免除という物があるように、『申請をして医師などの許可があれば免除される』ことはあるものの、『国民には納税の義務がある』程度の強制力の強い物(納税しない物は高額の罰金または逮捕すらあり得る)であるべきだったと思います。国民認識としてはそれくらいに感じさせるべきことだったと思います。

ここは個人個人で反論がある所だと思います。「ワクチンで死んでる人もいるんだよ」と言う人もいるかと思います。国家が強制力を働かせて罪なき国民を殺しても良いのか?・・極めて微妙な話になりますが、それはありえます。最たる物が戦争です。国家(全国民)が占領され奴隷化されて人権をなくすくらいなら数百万人の犠牲もやむなし。。酷い話だと拒絶したくなりますが【決める立場の者】は【決断の責任を負う】のです。自分がその立場ならどうしますか?逃げることは出来ません。1億人が全滅するか奴隷化するか、それとも1億人中数百万人の犠牲は確実。あなたならどちらを選びますか?その選ぶ立場に立たされるのが国家のトップという立場です。私なら・・その究極的な立場に立たされたら(決断を迫られる立場にいるなら)犠牲が出る方を選びます。1000人居て、950人犠牲になるか50人犠牲になるかなら50人間違いなく犠牲者が出るであろう方を選びます。たとえそこに自分の親や兄弟、恋人がいてもです。自分になる可能性があっても・・そちらにします。自分が部外者(決断しなくて良い)の立場なら綺麗事を言います。その立場でなければ自分が犠牲になるのは当然嫌だし全体主義も嫌いで耳障りの良いことを叫びたくなります。でもその決断せざるを得ない立場に立たされたら。。。戦争でなくても映画アウトブレイクのような状況になったら町を封鎖し脱走すれば射殺し、それでもダメなら町ごと焼き払う。。ということはありえます。
それは「数万人に数人のワクチン犠牲者が出てもその方針をとる」ということです。
そして、その立場の人はこの国に必ず居て、その人は決断せざるを得ない立場に居て決断し続けているのです。

ここで「ファイザーにはそこまでの効果がない・ある」の議論は無意味です。この段階でファイザー社が作れるのかどうかもわかっていません。未来に出来るであろう(効果があるであろう)ワクチンをこれからどう接種するか、今決めなければならない。の接種状況の強制力の話です。
そして、その今決めたこと(現在からみて過去)は、 まさに今現在の接種方針につながります。その時決めたことが今日の結果になっているというのは時系列上当たり前のことだからです。

今、オミクロンの状況を見て、ワクチンの効果を見て、副反応との天秤をみて、「明日からやめるか、続けるか」「意味があるのか・ないのか」を判断することには意味があります
が、結果的に「人類は半減しなかった」「経済の方が窮地に陥っている」という結果論を見て、インフルと同じなのに意味がないことしやがって。と言うのは時系列と意味合いを無視したナンセンスなことです

 

経済対策と過密防止策としても「むしろ24時間営業にすべき」というのは(個人的に)賛成です。(ずっと前から思ってました)
5歳以上から打たせるのがどうなのか・・は 医師でも専門家でないのでわかりません
しかし、インフルのワクチンとコロナのワクチンを名前が同じだからと同じように比較して語るのは主張の誘導でしかないナンセンスなことだと思うし、新型コロナ(α、β、・・デルタ、オミクロン)を一括りに考えた場合、今現在のオミクロンは低毒性であったとしても次に変化する物がまた強毒性でないとは言い切れません。強い感染力を持ち潜伏期間が長く、今までより強い毒性であるかもしれないのです。これだけ変化していくものなら。
その時にインフルと同じだから、インフルも大勢亡くなってるから、だから「コロナワクチンなんて打たなくていいんだよ」と広めてしまった責任が取れますか?withコロナでありながらも新型コロナウィルスは撲滅していかなければならない、その方向で動いていかなければならない。私はそう思います。

 

皆さんはどう思いますか?

 

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